吉見百穴ってなんですか?

吉見百穴は古墳!?

百穴外観写真

吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された国指定史跡である。 横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じでる。 吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されているが、わずかな写真と出土品を残すのみで詳細な情報はほとんど残っていない。 現在確認できる横穴の数は219基である。岩山の下方には、ヒカリゴケが自生している穴がある。関東平野における ヒカリゴケの自生地は非常に貴重であり、「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」として国の天然記念物に指定されている。

埼玉県吉見町役場HPから引用http://www.town.yoshimi.saitama.jp/

画像引用元http://furonavi.blog.jp/archives/51640236.html

要するに埼玉県吉見町にある古墳みたいですね。明治時代に調査が行われたようですが、詳細が残っていないなんて…不思議です。 どうやらヒカリゴケという天然記念物まで生えているようで珍しいものがあるのは確かのようです。

横穴墓ってなんだろう?

横穴墓写真

横穴墓の形態は数種類に分類することが可能であるが、ほとんどの横穴の壁際には10~20cm程の段が作られている。 これが死者を安置した部分であり、一つの横穴に二つの段があるということは複数の人が葬られたことを示している。 また、横穴墓の入り口には「緑泥片岩」と呼ばれる山間部に分布する緑色の石の蓋が立てかけられていた。 この蓋の存在は、横穴に死体を葬った後であっても、再び石室内に入ることが可能であることを意味する。 こうした構造から、横穴墓は一つの横穴に複数の死者を葬る「追葬」を前提にしているのである。

埼玉県吉見町役場HPから引用http://www.town.yoshimi.saitama.jp/

画像引用元http://www.geocities.jp/yassan_yarasero/yosimi_hyakuana_to_sono_syuuhen.html

古墳時代のお墓の一種みたいですね。そんなお墓の穴が百個あるのは少し不気味かもです。しかし、ちょっと興味わきませんか?全部の穴ではありませんが、実際に穴の中に入り中の様子を見ることも可能です。

戦争中は軍事利用!?

穴の中写真

昭和19年~20年に、吉見百穴とその周辺地帯に大規模な地下軍需工場が造られた。今でも通行可能な直径3メートル程の開口部を持つ洞窟が地下軍需工場の跡である。 太平洋戦争の末期、米軍の大規模な空襲によって日本の航空機製造工場の生産能力は壊滅的な打撃を受けた。 そのため、現在のさいたま市にあった中島飛行機工場の移転の必要性が急速に高まり、生活物資の調達に便利で、掘削に適した場所である吉見百穴地域に軍需工場が造られることになった。 吉見百穴にある地下軍需工場跡は、こうした空襲を避けながら航空機の部品を製造する目的で造られたのである。 昭和20年7月頃には機械が搬入されエンジンの部品が製造され始めた様であるが本格的な生産活動に移る前に終戦となった。

埼玉県吉見町役場HPから引用http://www.town.yoshimi.saitama.jp/

画像引用元http://kogetsu.hatenablog.com/entry/2015/11/23/030436

どうやら第二次世界大戦時に軍需要工場として利用しようとしていたみたいですね。簡単にいえば戦闘機の製造工場でしょうか。 結局、稼働が間に合わず実際に利用されることは無かったようですが、そのおかげで空襲されることなく今もそのままの形で残っているようです。 なんと、地下軍需工場跡の洞窟が一部解放されているんです!洞窟の中はひんやりとしていて独特の空間です。是非探検してみてください!